美容師 過去問
第51回(2025年3月)
問41 (文化論及び美容技術理論 問1)

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問題

美容師試験 第51回(2025年3月) 問41(文化論及び美容技術理論 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

明治時代の女性の髪型に関する次の記述のうち、誤っているものはどれか。
  • 婦人束髪会が設立され、従来の日本髪から簡単な洋風の束髪に改めようという束髪運動が始まった。
  • 代表的な束髪は、銀杏(いちょう)返しである。
  • ひさし髪は、日露戦争頃には二百三高地髷(まげ)と呼ばれた。
  • まがれいとなどの流行によってリボンが大流行した。

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この過去問の解説 (3件)

01

明治時代になると西洋文化の影響を受けて日本女性の髪型にも大きな変化が見られました。

・島田髷

・銀杏返し

・前割れ髷

・丸髷

などさまざまな髪型があるのでそれぞれの特徴について覚えておきましょう。

 

選択肢1. 婦人束髪会が設立され、従来の日本髪から簡単な洋風の束髪に改めようという束髪運動が始まった。

正しい記述です

 

明治30年代「婦人束髪会」が結成され日本髪から洋風の束髪に変えていこうという束髪運動が始まりました。

 

選択肢2. 代表的な束髪は、銀杏(いちょう)返しである。

正解

 

銀杏(いちょう)返しは江戸時代に武家の女性に多く見られた髪型であり

明治時代の女性の髪型とは異なります。

 

 

選択肢3. ひさし髪は、日露戦争頃には二百三高地髷(まげ)と呼ばれた。

正しい記述です

 

ひさし髪は前髪が帽子の「ひさし」のように張り出した髪型です。

日露戦争の激戦地「二百三高地」にちなんで「二百三高地髷」とも呼ばれたことがあります。

 

選択肢4. まがれいとなどの流行によってリボンが大流行した。

正しい記述です

 

明治時代には「まがれいと」など洋風の髪型やファッションが流行し、髪飾りとしてリボンも大流行しました。

 

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02

美容技術理論に関する問題です。

 

この問のポイント

明治時代の女性の髪型は、文明開化の影響を受けました。

江戸時代の伝統的な日本髪から、西洋の文化を取り入れた束髪へと大きく変化していきました。

 

選択肢1. 婦人束髪会が設立され、従来の日本髪から簡単な洋風の束髪に改めようという束髪運動が始まった。

◯・・・・・正しい選択肢です。

選択肢2. 代表的な束髪は、銀杏(いちょう)返しである。

✕・・・・・誤った選択肢です。代表的な束髪は、西洋上げ巻き・西洋下げ巻き・イギリス結び・まがれいとなどです。

選択肢3. ひさし髪は、日露戦争頃には二百三高地髷(まげ)と呼ばれた。

◯・・・・・正しい選択肢です。

選択肢4. まがれいとなどの流行によってリボンが大流行した。

◯・・・・・正しい選択肢です。

まとめ

代表的な束髪は、銀杏(いちょう)返しである。が誤った選択肢でこの問の正解になります。

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03

明治時代には、従来の日本髪に代わって、手入れがしやすい束髪が広まっていきました。
日本髪と束髪の代表的な髪型を区別して覚えておくことが大切です。

選択肢1. 婦人束髪会が設立され、従来の日本髪から簡単な洋風の束髪に改めようという束髪運動が始まった。

正しい内容です。
婦人束髪会の設立をきっかけに、従来の日本髪から、簡単で衛生的な洋風の束髪へ改めようとする運動が進められました。

選択肢2. 代表的な束髪は、銀杏(いちょう)返しである。

誤った内容です。
銀杏返しは束髪ではなく、日本髪の一種です。代表的な束髪には、ひさし髪やまがれいとなどがあります。

選択肢3. ひさし髪は、日露戦争頃には二百三高地髷(まげ)と呼ばれた。

正しい内容です。
ひさし髪は明治時代に流行した束髪で、日露戦争頃には二百三高地髷と呼ばれました。

選択肢4. まがれいとなどの流行によってリボンが大流行した。

正しい内容です。
まがれいとなどの西洋風の束髪が流行し、それに伴ってリボンなどの髪飾りも広く用いられるようになりました。

まとめ

銀杏返しは束髪ではなく、日本髪に分類されます。
明治時代には、ひさし髪やまがれいとなどの束髪が広まり、髪飾りの流行にもつながったことを押さえておきましょう。

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