美容師 過去問
第50回(2024年9月)
問42 (文化論及び美容技術理論 問2)
問題文
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問題
美容師試験 第50回(2024年9月) 問42(文化論及び美容技術理論 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
- 明治維新後には、服飾の洋風化が文明開化のシンボルとされた。
- 日清戦争頃に国粋主義が台頭し、洋装化がさらに進んだ。
- 関東大震災以降に、女性の間で洋装が定着した。
- 大正末頃から、セーラー服とスカートが女学生の制服として採用された。
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この過去問の解説 (2件)
01
近代の服装は社会的背景や時代の流れに影響されながら変化し、
特に洋装化が進んだ時期を中心に大きな変革がありました。
・明治維新後の洋装化は「文明開化」のシンボルとして重要でした。
・日清戦争頃は、国粋主義の影響もあって、洋装化がさらに進んだわけではなく、
むしろ日本文化を重視する動きが見られました。
・関東大震災後、女性の洋装が広まり、社会全体で洋装が定着しました。
・大正末期の女学生制服においては、セーラー服とスカートが一般的になりました。
正しい
明治維新後、日本は西洋文化を取り入れることを推進し、服装もその一環として洋風化しました。
洋装は文明開化の象徴として広まりました。
誤り
日清戦争(1894-1895)頃、国粋主義が強まる一方で、洋装化が進んだわけではありません。
この時期の国粋主義運動は、むしろ日本の伝統文化を重んじる方向に向かいました。
洋装化が進んだのは明治初期から大正にかけての時期で、日清戦争の前後はむしろ日本独自の文化を強調する時期でした。
正しい
関東大震災(1923年)後、女性の間で洋装が広まり、洋服が日常的なスタイルとして定着しました。
正しい
大正時代末期(1920年代)に、セーラー服とスカートが女学生の制服として採用されました。
このスタイルは今でも一般的な制服スタイルとして定着しています。
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02
日清戦争頃に国粋主義が台頭し、洋装化がさらに進んだ。が誤りです。
国粋主義の高まりは和装回帰の動きにつながり、洋装化を押し広げたとは言えません。
適切です。政府要人の洋装採用や散髪脱刀令など、洋風化=近代化の象徴として受け止められました。
不適切です。
日清戦争前後には国粋主義・和装重視の空気が強まり、女性の束髪運動など一部の洋化は続いたものの、「さらに進んだ」と一般化するのは誤りです。
適切です。1923年の震災後、動きやすさ・防寒性・実用性から洋装が普及し、都市部を中心に常用化が進みました。
適切です。大正末〜昭和初期にかけてセーラー服型の制服が広く導入され、女学生の標準的なスタイルになりました。
近代日本の服装は、
明治=洋化の象徴、日清戦争期=和装重視の揺り戻し、関東大震災後=実用性から女性洋装が定着、大正末〜昭和初期=セーラー服の普及という流れで整理できます。
誤りは国粋主義期に洋装化がさらに進んだという記述です。
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